マーラー 交響曲第6番『悲劇的』

マーラーの予言「やがて私の時代が来るだろう」

“彼(リヒャルト・シュトラウス)の時代は終わり、私の時代が来るのです。それまで私が君のそばで生きていられたらよいが!だが君は、私の光よ!君はきっと生きてその日にめぐりあえるでしょう!”(1902年2月、妻アルマ・マーラー宛書簡より)

「やがて私の時代が来るだろう」ーマーラーを語る上で往々にして引き合いに出されるこの言葉はまさに今日、現実のものとなっています。

指揮者としては高い地位を築いたマーラーですが、作曲家としては当時のウィーンでは評価されず、本業である指揮活動の傍らシーズンオフや休日に作曲を行う生活を送っていました。

マーラーの死後、1960年代に入るとバーンスタインが全集盤を発表し、クーベリック、ショルティ、インバルらがそれに続きます。70年代以降は日本でも演奏機会が徐々に増え始め、2000年ごろまで空前のマーラー・ブームが巻き起こります。

そしてマーラーの交響曲は今でもなお、プロアマ問わず幾多の楽団がこぞって取り上げる「花形」レパートリーです。聴衆だけでなく奏者をも虜にするマーラー作品の魅力とは一体何なのでしょうか?

オーケストラ音楽を嗜む我々にとって追い求めずにはいられないこの命題を、マーラー自身の言葉も引用しながら紐解いていくことにしましょう。

マーラーにとっての交響曲と「創造的宇宙」

「交響曲は一つの世界のようなものでなければならない。すべてを包摂するものでなければならない」(シベリウスとの会話より)

「全世界が実際にそこに映し出されるような巨大な作品を考えてごらん。 ー そこでは人は、いわば宇宙が奏でる一楽器に過ぎないのだ」(アンナ・フォン・ミルデンブルク宛の書簡より)

例えば風の音や鳥の声から軍楽隊のマーチ、街を行きかう人々の雑踏や喧噪までーマーラーにとっての交響曲とは、全く別の方向から現れ、異なるリズムや旋律を持ったいくつもの主題が調和し響き合いポリフォニックに共存する世界、ひいては宇宙そのものだったといえます。

まず我々を惹きつけるのは、その「宇宙」を表現するための極限まで拡大されたオーケストレーションの壮大さですが、マーラーの天才たる所以は、それでいて粗野な音楽に流れることは決してなく、それぞれの要素が対位法的に、精巧に曲中に織り込まれていることでしょう。

マーラーの交響曲を奏でるとき、我々奏者はその宇宙の一部となり、聴衆もまた同時にそこに含まれるのです。マーラーの音楽を生で聴くという行為は、単純に耳で聴くというだけでなく、音の飛沫を全身に浴びる、あるいは巨大な音世界に丸ごと包まれる非日常体験とも言い換えることができます。

「復活」の思想

マーラーはユダヤ系の作曲家でしたが、音楽においてはキリスト教寄りの思想が込められています。マーラーはウィーン宮廷歌劇場の指揮者になる直前にカトリックに改宗しており、カトリックに帰依するにあたってマーラーが最も強く関心を抱いたのが「復活」の思想です。

人生の意義は死後の蘇生と魂の浄化であるとし、マーラーの音楽において追求されたのは「生の喜び」の謳歌ではなく、運命や定めといった「宿命的なもの」による抗いがたい支配と、それに打ち勝つことのできない人間の姿やそれに対する一種の諦観、厭世でした。現代を生きる私たちにとってこのようなテーマは、共感するに十分すぎるほどの要素を備えていると言えるでしょう。

英雄の戦いと死を描き通した交響曲第6番『悲劇的』

1897年にウィーン宮廷歌劇場の音楽監督に就任したマーラーは1902年に20歳年下の才媛アルマと結婚し、同年に長女マリア・アンナが、1904年には次女のアンナ・ユスティーナが生まれます。多忙な日々を送りながら自作を指揮する機会も増え、1903年と1904年の夏に交響曲第6番の大部分を作曲しました。

このように第6番は公私ともにまさに絶頂期に書かれた作品にも関わらず、この交響曲は「運命の三度の打撃を受けて破滅していく英雄」を描いており、しかもその英雄とはマーラー自身を指すというのです。

実際マーラーは1907年に長女の死、自身の心臓病宣告、宮廷歌劇場辞任という三つの悲劇に見舞われることになりますが、これはあくまで結果論であり、この曲の未来予知的側面への過度なフォーカスはかの有名なアルマの手記『回想と手紙』によるところが大きいでしょう。

マーラーの遺した壮大な「謎解き」

「僕の第6は、聴く者に謎を突きつけるだろう。この謎解きには、僕の第1から第5までを受け入れ、それを完全に消化した世代だけが挑戦できるのだ」(1904年秋、音楽学者リヒャルト・シュペヒト宛の書簡より)

マーラーの追い求めた「復活」の思想の芸術的結実が交響曲第2番『復活』、永遠性や森羅万象の超越を探求し、たどり着いた終点が交響曲第9番であったとするならば、交響曲第6番『悲劇的』はその中間点としてひとつの頂点をなす作品です。

この曲で描かれるのは究極の悲劇であり、英雄が力尽きる最後の一音の後に味わうカタルシス(アリストテレスが著書『詩学』中で記した「悲劇が観客の心に怖れと憐れみの感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」)は、生の音楽でしか経験することのできないものであると断言できます。

英雄はマーラーの創造的宇宙空間の中で何を夢見、何と戦い、何に打ち倒されたのか?ー音楽の中にしか存在しないその答えを見つけるために、いざ長旅に出ることにしましょう。

第1楽章(Allegro energico, ma non troppo)

チェロとコントラバスによる八分音符に導かれ、軍隊行進曲のような曲調で壮大な物語の幕が開けられる。

続いてすぐに1stヴァイオリンによって奏される第1主題は暗く威圧的。重音に続く下降音型は悲劇を暗示し、のちに逆行の上昇音型としても活用される。

主題の動機による経過部に移り、ティンパニの「ダン・ダン・ダダン・ダン・ダン」という印象的なリズムの上に、この交響曲の全楽章を貫く統一的なモットー和音が響き渡る。ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』以来踏み慣らされてきた轍「暗」から「明」への道程が「明」から「暗」へと致命的に覆される。

弦楽器による第1主題の分散的ピッツィカートの後ろで木管のミステリアスなコラールが弱奏された後、突如溢れ出るかのように1stヴァイオリンがドラマティックな第2主題を歌い、英雄の理想郷へと世界が劇的に一変する。チェレスタが加わり輝きを添え、この主題はさらに躍動感を持って何度も繰り返し湧き出るように奏される。この提示部はマーラーの交響曲では珍しく反復記号を持つ。

展開部に入ると弦楽器の弱音のトレモロとチェレスタに導かれ「明」から「暗」のモットー主題が響き、木管のコラールを経て英雄の理想の世界が再び眼前に広がる。ここではカウベル(アルプス周辺で用いられる、牛の首にぶら下げる大型の鈴)の響きが牧歌的な情感を演出する。

第1主題の逆行型と第2主題の断片を組み合わせた旋律が木管楽器に始まり、ホルンのコラール風旋律へと受け渡され、ヴァイオリンの独奏と絡み合い、超自然的な情景が映し出される。

平和な雰囲気が頂点に達したかと思うと、第一主題の変形が現れ、再び場面は戦場へ引き戻されて再現部へ突入する。二つの主題が再現され、やがて葬送行進曲風にコーダへと移る。次第に第2主題が活気を持って曲を支配する。

最後は①と②の動機がせめぎ合い繰り返し強奏されて、雪崩れ込むように輝かしく結ばれる。全楽章で唯一、弦楽器の弱いピッツィカートで終わらない楽章。

第2楽章(Andante moderato)

交響曲第5番第4楽章アダージェットと並び、マーラーがこの世に残した中で最も美しい音楽のひとつ。

冒頭、1stヴァイオリンにより、安息地を求め彷徨う英雄の魂を表すかのような主要主題が歌われる。変ホ長調、全体的に穏やかではあるものの、G♭の音の翳りが印象的なこの旋律はやがて各楽器に受け渡される。

フルートによる揺らぎのような経過主題を経てイングリッシュ・ホルン始め木管楽器で奏される副主題は非常に抒情的で、まるで砂漠の真ん中で遠い故郷に思いを馳せるかのような寂寞も感じ取れる。

中間部に入ると英雄を象徴するホルンのファンファーレとともにカウベルが舞台上で鳴り響き、たゆたうような場面から牧歌的な情景、英雄の理想郷へと変わる。この場面は1楽章とも関連が深い。

トランペットが第1部の動機を引き継いだ旋律を歌った後、再び主要主題が回帰する。ヴァイオリンが対位法的にこれに絡まり、主要な旋律が一通り再現された後、副主題が劇的に奏され嘆きのような強奏に至る。

自分は今一体どこにいるのだろうか?そしてこれからどこへ向かっていくのか?そんな問いに突き動かされた衝動が見え隠れする。シリアスな場面の中でも、ここでは理想の世界を思い出させる警鐘のようにカウベルが再び鳴り響く。やがて音楽はゆっくりと歩みを遅らせてゆき、永遠の眠りにつくかのように穏やかに終わる。

第3楽章(Scherzo. Wuchtig)

第一楽章の軍隊行進を調性もそのままにワルツ化し始まるスケルツォの楽章。

ずれを伴うティンパニと低弦のリズムに乗って、ヴァイオリンが主要主題を奏する。

骸骨の踊り、死の舞踏を想起させるシロフォンも加わり、怪奇な輪舞が繰り広げられる。

トランペットのモットー和音の後すぐに「古風に」と銘打った変拍子のトリオに移行し、一人歩きをし始めた子供が不規則によちよち歩きをする様子が表現される。オーボエの旋律によって可愛らしい調子で始まるものの、不意に速くなったり突如ティンパニの打撃音が入ったりと変化が目まぐるしい。

やがて再びスケルツォに戻り、弦楽器のコル・レーニョ(弓の毛ではなく、木製の棹の部分を用いて音を出す特殊奏法)も加わっておどろおどろしい雰囲気が醸し出される。2回目のトリオを経て、ヴァイオリンの独奏と木管楽器が変拍子で物哀しいメロディを入れ替わり奏でた後、ねじ式の人形がだんだんと動かなくなり、ぱたりと倒れるかのように低弦のピッツィカートで曲が閉じられる。

第4楽章(Finale. Allegro moderato)

fffが付されたチェロのピッツィカートを皮切りにチェレスタとハープが分散和音を奏で、煉獄の蓋を開け一気呵成に溢れ出した物怪たちのさざめきが弦楽器に現れると、ヴァイオリンが悲劇的な主題を歌い上げる。

第1楽章冒頭のティンパニの打撃が回帰し、その上にモットー和音が再び現れ悲劇的運命を暗示する。

主部の第1主題と第2主題が断片的に登場し、異様な雰囲気が漂う。引き続き奏される弦楽器のさざめきに誘われて、後の阿鼻叫喚の伏線のような発作的絶叫がオーボエで放たれ、上昇と下降のグリッサンドでホルンが応える。これとは全くと言っていいほど無関係に通り過ぎてゆく打楽器とコントラバスのピッツィカートは、死期が近づいた英雄の目に映った一瞬の幻覚のようにも感じられる。

金管楽器の弔歌のようなコラールが妖しさを纏い奏でられた後、音楽がどんどん熱を帯び高揚してゆき、Allegro energicoの主部に突入し木管とヴァイオリンによって好戦的な第1主題が奏され、戦いの火蓋が切って落とされる。続いてホルンが下降・上昇の跳躍を伴う音型を歌い、随所に散らばる付点のリズム隊に煽られるようにして進軍が続く。

不意にニ長調へ転調し、木管の軽やかな三連符に乗ってホルンが意気揚々と第2主題を奏でる。

しばらく第1楽章の第2主題が現れる英雄の夢の世界の空気が舞い戻るが、せめぎ合いの後4楽章冒頭の序奏で再び戦場に引き戻され展開部に移る。カウベルとチェレスタが鳴り響き漂う面妖な空気は第2主題によって打破され、チェロが第1主題の断片を威嚇のように奏する。半ば強引に再びニ長調へと転じ様々な楽器が絡み合いながら輝かしい頂点が形成されるが、クライマックスでついにハンマーが振り下ろされ、飛び出た魑魅魍魎たちが辺りを這い回るかのような付点のリズムが弦楽器に現れる。


それでも英雄は打ち倒されるどころか、見えない敵に立ち向かうかのように堂々たる行進曲を開始し、ここでやっと第1主題が本格的に展開される。せき立てられるようにテンポが上がったかと思えば再び短いニ長調の部分を経て、2度目のハンマーが打ち下ろされる。

テンポを上げながら「前進!」してゆき、3度目の序奏部分を迎え再現部に移行する。モットー和音が打ち出され、カウベルが遠くから再び鳴り響き、Graziosoに至ると第2主題が再現される。「前進」とpiu mossoで曲が勢いを増し、ここに来てやっと第1主題が打楽器群に華やかに縁取られながら再現される。

全楽器が雄叫びを上げて盛り上がりを見せ、頂点でシンバルの一撃が鳴らされるとイ長調で変形された第1主題が現れる。ここで勝利を収めたかに見えた英雄軍だが、4度目の序奏回帰でイ短調のコーダに移る。

金管楽器によるコラールで英雄への弔歌がしめやかに奏されたのち、静寂を打ち破るイ短調の主和音がとどめの一撃を与え、ティンパニがリズムを強烈に刻印すると、心臓の最後の一拍の鼓動を表すかのような弦楽器のピッツィカートで遂に息絶える。英雄の夢見た理想郷は現世では実現されず、一縷の望みは黄泉の国での蘇りに託されることになる。